主婦が自分で仕事をしていくことについて考えるブログ

アラフォー無個性主婦だって自分のビジネスを持てる!

ブログのハンドルネームのつけ方

少しご無沙汰です。まるちゃんです。

歳をとるごとにお尻が重くて、なかなかブログも進みません。

 

この一か月、起業のネタを探していたのですが、

ようやく一つネタを決めました。

 

そこでさっそくブログを作成しようと思っているのですが、

ハンドルネームが決まりません。

今付けたハンドルネームは、のちにビジネスネームとなり、

実際に事業を展開していく中で、お客さんへ名乗る名前です。

 

そして、ブログ内でも、毎日名乗る名前です。

 

どうせなら、気に入った名前を付けたいです。

だけど、なかなか思いつかない。

 

 

ネットでうだうだ検索していたら、

いいサイトを発見しました。

 

●すごい名前生成器

namegen.chobitool.com

 

性別、国を指定すると、

姓と名をランダムに考えてくれるサイトです。

 

姓と名に含みたい文字や、珍しさの度合いなども指定できます。

 

 

それと、落ち着いたイメージにしたいので、

和風な名前にしようと思いつきました。

 

●女の子の和風な名前283個集めてみた

mamasup.me

 

 

30分くらい、いろいろな組み合わせを考えた結果、

読みやすくて、覚えやすいを重視して、

森まどか

にしようと思います。

と書いたそばから、最後にgoogleで名前検索したら、

有名な方で同一同盟の方がいたのでさすがにやめよう。

再度考えなおし・・・

 

うーん、うーん、と

すごい名前生成器であれこれ試すことさらに15分・・・

 

「德丸 まどか」にすることにしました。

もっとインパクトがあって、いっぱつで覚えられちゃうような名前がよかったけれど、

そうするとどうも「いかにも芸名」みたいになってしまうので、

ゴロがいい名前にしてみました。

”まるみのあるイメージ”って覚えてもらえたらなあと思います。

 

このブログでは「まるちゃん」

実際にサービスの提供につなげるブログでは「徳丸まどか」を使おうと思います。

 

よし、次はもう一つブログを立ち上げなければ!!

年末年始の間に起動に乗せられるようにやるぞ!!

 

 

ヒマって最高

こんにちは。

 

いつもやらなければならないことがいっぱいで、

やりたいことが後回しになってしまって、

イライラしてしまいます。

 

やらなければならないことが、

やりたくないことだったりすると、

さらにストレスが溜まってしまいます。

 

過去に自分で選択した結果の

やらなければならないことだから、

あまり文句は言いたくないのだけど、

だけども体が嫌がっているのです。

 

そんな私は昔らかヒマが大好きでした。

憧れのバイトは、お客がほとんど来ない古本屋のレジ係でした。

嫌いなバイトは、忙しい飲食店のホール係です。

 

忙しいのがキライな理由は、

忙しいと、自分の自由にできないから。

自分のペースじゃなくなって、

何か、他の人に私の体を乗っ取られてしまったような感覚になるからです。

 

いっぽうヒマだと、自由です。

 

ヒマになって、いろんなやるべき義務から解放されて、

そこからようやくやりたいことをするスタート地点に立てるような感覚があります。

 

1年くらい無職の時期があったのですが、まったく苦ではなくて、

私にとっては人生最高の時間でした。

毎日がとっても楽しかった。

 

好きな人達と一緒に時間をすごして、

好きな人達のために時間を使うことができて、

睡眠もたっぷりで、

やりたいと思いついたことは一日中探究することができる。

まさに天国でした。

(俗にいう歳とったニートでした。)

 

だけど、世間体とお金の問題での不安はありました。

 

世間体とお金と引き換えに、

私はヒマを差しだしてまた、労働者として働いています。

 

また、ヒマで自由な時間をとりもどしたいです。

精一杯生きているだろうか

電車のドア横にある本の広告の中で、「どれだけ生きるかより、どう生きるか」が大切だと書かれていて、それがなぜか頭から離れません。

 

わたしは何となく、自分は平均寿命の80歳くらいまでは生きるだろうなあと思っていて、

それだったら年金をもらう65歳までは働いて、その後の生活の貯蓄をしなくてはならない、とざっくりとした人生計画を立てています。

 

イソップ童話の「アリとキリギリス」という話は、一見すると真面目にコツコツ働くことが大事だといういい話のように思いますが、これって単に、そういう国民、社員、労働者がたくさんいたほうが得する人にとっておいしい話なのでは?と思います。

 

わたしは65歳までは、アリとして労働の義務を果たすことをなんとなく受け入れているのです。

 

キリギリス的に、好きなことをして人生を過ごすのは、あとでしっぺ返しがくるよと言われると、そのしっぺ返しを恐れて、好きなことなど後回しにして、目の前の労働を毎日コツコツをこなすことが第一優先なのです。

 

それって、精一杯生きているのだろうか?とふと思うのです。

 

精一杯生きるって、義務を果たすことなのでしょうか?

そのために、喜びを後回しにしてるって、あんまり楽しくないなと思ってしまうのです。

 

私にも日々、ほんの少しの喜びはあるけれど、それよりも義務のほうが大きくて、直ぐに喜びのほうが埋もれてしまいます。

そして、人が喜んだり、休んだりすることを許さない人たちもいます。

そういう環境にいると、心を殺して、言われたことをやることが生きる目的になってしまいます。

 

わたしはそれはやだなあ~。

 

キリギリス的な生き方に憧れるのが、私が自分で仕事をしていきたいという根本にあります。なぜなら、キリギリス的な人のほうが、私には圧倒的に魅力的にうつるし、そいういう人のほうが自分も周りにも自由で優しい人が多いからです。

 

私自身、アリとして生きていることでいろんなガマンのカスが溜まって、アリだったはずなのにガマンの糞を転がしているフン転がしのような、奇妙な生き物になっているように感じるからです。

 

ここ数週間、遅くまで&朝早くから仕事の義務を果たすことに時間を使ってしまっていて、心がすさんできました。

ああもう何にもやりたくない。

 

今日は一日お休みです。予定もなんにもありません。義務から解放された一日を自分にプレゼントしてあげたいです。

 

一生懸命生きるって、自分を一生懸命幸せにしてあげる生き方なのかなあと思います。

予定調和 を手放したい

面白いってなんだろう?という疑問から、

自分がつまらない理由がわかってきました。

 

面白くない、つまらない人というのは、

予定調和しすぎているのですね。

 

会話は続くけど、なんか薄っぺらい、物足りない、って人は、

その人だからこそ作り出せる、隠し切れない予定不和をオブラートにくるんでしまい、

オリジナルティが感じられないからです。

 

予定調和を円滑にするためには、

相手をよくよく観察して、場の空気間をくみ取ることです。

今までの人生において、いかに予定調和を読み取り、失敗しないで円滑に調和するか、

に心を砕いてきた私が身に着けてきたやり方です。

 

だけど、それでは何も心に残らない。

 

 

私の今の人生のイメージ:

世間という観客がいて、とりあえず彼らが一般的に求めているであろうことをリサーチして、それをネットで軽く調べて脚本を作り、それにそって、放送事故が起こらないように失敗しないように、何回も何回も練習して、隙のない寸劇を演じていく、そういう人生を歩んでるように思います。

 

私はもっと、自分自身の人生を生きたいなと思うのです。

放送事故があってもいいじゃないの、

リハーサルなし、アドリブでいいじゃないの、うまくやるってなんのため?

誰からの評価が必要なの?

自分の評価を一番大事にしなよ、と 

最近誰かが私にささやくのです。

 

ああー、これじゃあ予定調和がミッションであるサラリーマンはできないなあ~。

予定調和がつまらなさの根源だ。

前回の記事で、

私が面白いと思う人は、

本音でグイグイきちゃう人、って書きました。

 

そういえば、私が仲良くしている友達って、なんだかグイグイ来るタイプの人達が多い気がします。

私とはタイプが違うハズなのに、なぜかそういう子と長く友達でいることが多いのです。

 

理由を考えてみました。

たぶん、私がそういうタイプの子と一緒にいると、楽だからです。

だから、気負えず会えるし、ノープランでものびのび遊べるのです。 

 

そういう人達は、私の前でやりたいことをやってくれるので、

私もやりたいことをやってもいいよね、って思えるのです。

時々カチンと来るようなことも言われるけど、

逆に私も、いつも気持ちがよいことばかり言わなくてもいいよね、って思えます。

 

 

場をまるく収めようとする人って、

結局それが目的になってしまう。

個々の気持ちよりも、全体の調和が優先されると、

言いたいこと言えなくなっちゃいます。

 

窮屈なのです。

 

窮屈すぎて、予定調和に違和感を感じるのです。

自分が気負わずいられるために、予定不和を求めているみたいです。

 

と、完全予定調和人間の私が言ってみました。

私が面白いと思うこと(人)

人に自分のことを決めてもらおうという、

楽したい根性まる出しの、まるちゃんです。

 

自分の人生は自分で決めなくてはなりません。

そのための材料は自分自身が持っています。

だけど、その材料が倉庫の奥のほうにしまわれていたり、

土の中に埋められていたり、自分でアクセスできない人もいます。

ハイ、わたしです。

 

今日は、自分が何に興味を持っているのかを考えてみようと思います。

今まで、どんなことに時間とお金を使ってきたのでしょうか。

 

「わたしなんて、ほんと普通の女子なんで、

オシャレして、デートして、婚活に励み、仕事もそこそこ頑張って・・・」

 

と、答える私がいます。

 

だけど、今日はそれじゃあ許さないのよ、

もっと心の奥の気持ちを言っちゃいなさい。

 

まる「普通の女子になる努力をするために、時間とお金をかけてきました。」

 

 どうして、普通の女子になりたかったの?

 

まる「・・・どうしてだろう?

普通にしていれば周りにとやかく言われないですむから」

 

普通にしていないと、そんなにとやかく言われるの?

誰にそんなにとやかく言われるの?いつ、何人に言われるの?

 

まる「えっと、、、例えば、結婚していないってだけで、

弟に「だから結婚できないんだよ」って言われました。

ネットでも、独身を叩く人たちの投稿を目にします。

そして、私自身もそれを跳ね返すだけの反論をできずにいました。」

 

それって、生きている時間の何パーセントくらいの意見なの?

関わっている人たちの何パーセントの意見なの?

 

まる「そういえば、そんなことわざわざ言ってくる人のほうが、貴重な稀有なそんざいです。

あっ、結局は、自分自身が一番そう思っていたんだ。

自分自身に影響力のあるわたしが言うから、どんな声よりも大声に聞こえたんだ。」

 

では、普通にしてればいいというのも、架空の声ってことだよね。

まるちゃんの中に、どうしてそんな声が響くの?

 

まる「うーーーーん、今はちょっとわかりません。(あとでもっと掘り下げてみたいけど)

だけど最近、その普通っていうのに違和感を感じます。

普通になるために努力してきたのに、今は普通であることがつまらない人間に感じます。」

 

では、まるちゃんの考える、普通じゃなくて面白い人ってどんなひと?

 

まる「本音でぐいぐいくる人が面白いなあと思います。 

いきなり最初から距離が近い人とか、面白いなあって感じます。

えっ、今このタイミングでそんな本音言っちゃうんだ、っていう人が好きです。

そういう人から目が離せなくなります。」

 

課題は出しません。自分で課題を考えてください。

という課題を起業コースの師匠から出されました。

 

私が師匠に、

 

「自分の仕事を持つために、私は何をしたらいいのでしょうか?」

 

と、真顔で聞いたからです。しかも、言葉やシチュエーションを変えて何回も。

 

この答えは、人からもらうものではないのです。

 

「今日の夜ご飯はおいしいものを食べたいのですけど、何を食べたらいいでしょうか。」

「明日の休日は楽しいことをしたいのですけど、何をしたらいいのでしょうか。」

「自分の機嫌をよくしたいのですけど、どうしたらいいのでしょうか。」

 

と、同じようなことを言ってるのですよね。

これがおかしいことは、私でもわかります。

 

どこがおかしいのだろう?

 

それは、

自分しか知らないことを、人に聞こうとしていることです。

 

何をおいしいと思うのか、何を楽しいと思うのか、何が嫌だと思うのか、

それは自分しか知らないことなのです。

なのに、それがわからなくて、人に尋ねるって、違和感がありますね。

 

私はもっと、自分のことを知る必要があると感じました。